003 バーボン・ウィスキーとモビリティ 2004年11月
日本大学経済学部 助教授 加藤一誠

Kentucky Moonshine

 ケンタッキー州の名産のひとつにバーボン・ウィスキーがある。ウィスキーはおもに州東部のアパラチア山岳部でつくられ,その歴史は200年をこえる。「バーボン」の名は州内の郡名に由来し、境界の変更で位置がかわったとはいえ、今もバーボン郡はある。しかし、そこはドライ・カウンティ、つまり禁酒郡なのである。

 バーボンは、イギリス移民がとうもろこしを原料に蒸留したのがはじまりとされ、18世紀末に酒税法が成立すると,密造が本格化した。 密造酒は“moonshine”という。アパラチア山脈の縦横に切れ込んだ深い谷は外界から遮断され、月下の隠密行動に最適であった。密造酒の輸送ルートは川であったが、山あいの曲がりくねった道路も使われた。しかし,法律に違反する製品の売上額はGDPに含まれないから、アメリカの生産にアパラチアの道路が寄与したことにはならない。

 19世紀になっても複雑な地形に加え、人口密度の低いアパラチアでは遅々として交通整備はすすまなかった。こうして、ケンタッキーを中心としたアパラチア地域はアメリカのメインストリームから取り残され、伝統的な貧困地域になった。


貧困退治と道路

 アパラチアの扉を開こうとした政治家がいた。第36代アメリカ大統領リンドン・ジョンソンである。彼は「貧困に対する戦い」を宣言し、アパラチアでは1965年に道路整備を中心とする地域開発がはじまった。道路網はアパラチアの孤立を打破し、貧困を解決すると考えられたのである。開発道路網の全体計画はおよそ4800キロで、40年にわたって連邦資金が投入されている。現在の進捗率は85%だから、まだ数年は完成しない。1998年に刊行された事業評価としての費用便益計算によれば,道路網の費用便益比は1を上回る。しかし、統計上の問題もあって、地域の雇用や所得の上昇と道路整備の因果関係を証明した経済分析は見当たらない。そもそも、孤立の解消が貧困を解決するという当初の目的じたいが関係者の信念に近いものであり、定量分析によって証明された関係ではなかったのである。

 現在、アパラチア地域の所得は全国の8割程度にとどまり、開発道路網の路線が集中するケンタッキー州東部では全国平均の半分程度の所得しかない郡もある。こうして、貧困を道路整備で解決するという試みは成功したとはいえず、かえって衰退した地域さえある。

生活道路の意味

 しかし、道路網は生活道路の側面が強く、人びとの通勤圏は拡大し、日常生活のモビリティは飛躍的に向上した。少し自動車で走れば、診療所やスーパーに行くことができ、無医村や自給自足の村はほとんど見られなくなった。

 18世紀の密造酒輸送量と現在のモビリティ。いずれも統計で示すことは容易でない。アパラチアはルーラル・エリアの典型といわれ、日本でいえば、山間地域あるいは過疎地域にあたるのであろうか。90年代初頭から費用便益計算が義務づけられ、日本以上の透明性が求められるアメリカで、このようなプロジェクトが続けられている意味を考えなければならない。

   著者プロフィール
 加藤 一誠
 (かとう かずせい)
 加藤一誠


経歴
1987年3月 同志社大学経済学部卒業
1992年3月 同志社大学大学院経済学研究科経済政策専攻(博士課程後期) 満期退学
2002年9月 博士(経済学)(同志社大学)
2004年4月 関西外国語大学外国語学部助教授を経て日本大学経済学部助教授

主な著書
『デッサン日本経済』サイテック、1995年(共著)
『アメリカ・交通・経済史:榊原胖夫先生古稀記念論文集』渓水社、1999年
(共著)
『インターモーダリズム』勁草書房、1999年(共著)
『アメリカにおける道路整備と地域開発―アパラチアの事例から』古今書院、2002年(単著)
『航空と空港の経済学』関西空港調査会、2002年(共著)
 その他論文等多数


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