024 故きを温ねて想うこと
2012年 2月
東京海洋大学 理事・副学長 苦瀬 博仁

 事情があって、ここ何年か、あまり得手ではない歴史を調べることになった。書物をあさったり現地を訪ねることで、江戸時代から明治初期までの交通と物資輸送を調べたのである。新たな発見を期待した調査のはずだったが、実は自らを省みる機会へと変わっていった。
 日本の鎌倉街道や江戸時代の五街道は、往時の首都を中心にして拓かれていった。江戸時代初期の廻船航路開発は、年貢米と江戸への消費物資の輸送が目的だった。明治時代の鉄道は、富国強兵に合わせて、大都市と軍港を繋いだり、石炭や生糸の生産地と港を結んだ。過去の交通ネットワーク整備の目的は、国家の成立と産業振興にあったように思う。
 人にしろ物にしろ交通は派生需要であるから、交通施設整備には本源的な需要との関連を明らかにしておく必要がある。それゆえ、地域の成立と交通、産業振興と交通、土地利用と交通、生活様式と交通、などは根源的なテーマと思うが、このことへの意識が不十分だったのではないかと感じたのである。
研究が深化するほど、より細分化され厳密な議論になることは多いが、このことは交通分野も例外ではない。筆者が専門とする物流やロジスティクスの研究においても、現象が複雑な故に、そして精緻な分析を追求するあまり、大胆な仮定を置くことがしばしばある。このため得られた結果も仮定の範囲内でしか通用しないが、現実の社会や経済は、しばしば仮定を覆し想定外の変化をもたらす。このため、将来を先取りすべき計画があらぬ方向に行ってしまったり、後追いになってしまうことさえある。
 故事来歴を調べているうちに、部分の解明や精度の追求もさることながら、多少粗くとも大きな枠組みのなかで、新たな産業や生活を創り出す研究に取り組めないものだろうか、と思うようになった。
 そんなとき、東日本大震災が起きた。すでに震災後約1年が経過しているが、いまだに復興ははかどっていないようだ。復興のための調査や計画も、なかには細かい部分を対象にしがちなものもある。いささか偏見かも知れないが、被災地復興と交通施設整備、産業復興とインフラづくり、都市計画と交通計画の連繋というような、都市や地域の行く末を見据えた議論は少ないように思う。震災復興のような大きな枠組みづくりには、多少大まかでも、都市・地域、産業、生活、交通などを俯瞰した大局観が必要と思うのである。
 過去を温ねる旅と大震災は、交通の奥深さと幅の広さを改めて教えてくれた。そして、地域の成立や産業振興に果たすべき交通の役割を諭してくれた。交通に関わる仕事の成果が歴史の審判に委ねられるものならば、すでに審判が下されている過去を振り返ることにも価値はあるはずだ。
 過去を学べば学ぶほど、「自らの専門分野に限った思い入れだけで論じてはいけませんよ。住み・働き・憩うバランスを取りなさいよ。今だけを思うのではなく、遠い将来を見据えてくださいね」と、戒められているように思うのである。


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