025 バカ、馬鹿の道
2012年 4月
日本大学名誉教授 高田邦道

 よく『高田さんは交通を研究するように生まれてきたんだね』といわれていた。それは私のfirst nameが『邦道』だからである。邦は国に通じ、国道と思われてのことである。母からは父が名付けたい名前だったらしいとしか聞いていない。4歳の時に戦死した父からは当然のことながら、その由来を聞くことができなかった。
 冒頭に掲げた質問が気になってはいたが、論語に三節ほど「邦に道有れば・・・、邦に道なければ・・・」というくだりがある。その中の『子曰く、ィ(ねい)武子(ぶし)*、邦に道有れば則ち知、邦に道なければ則ち愚。其の知及ぶべきなり、其の愚及ぶべからざるなり』という一節から命名されたと考えていた。しかし、この一文の一般的な解釈は、『孔子が言われた、「ィ武子は、国に道がある時は智を発揮し、国に道がない時は愚になった。その智は真似することはできるが、その愚は到底真似できることができない。」』となっており、もうひとつすっきりしなかった。
 ところが、最近になって、安岡(やすおか)正篤(まさひろ)氏の解釈[論語に学ぶ、PHP文庫]に巡り合った。それには、『知は−頭が良いとか、気が利くというようなことは、五十歩百歩で、決して真似のできぬことではない。けれども人間というものはなかなか愚−馬鹿にはなれぬものであります。ィ武子というひとは、ひとの真似の出来ない馬鹿になれた人だというのです。』といった解説で私自信納得したのである。それは、父が私に政治家になることを期待したのだと。
 このこととは、関係なく私自身は、政治家を志していたというよりはむしろ志さなければならない環境にあった。大学の志望先も「これからの時代は、技術が分かる政治家」でなければといった理由で工学部を目指した。学部・大学院時代には郷里出身の重要閣僚を何度か経験した代議士事務所を不定期に手伝った。その時に見えたことは、中央の要職に就いていると選挙に弱い。支援者の選挙違反まがいの後押しで最下位当選がやっと。上位当選者は,政治よりも盆踊りや寄り合い(最近ではカラオケ)に熱心に付き合って民衆の心(?)を掴むことばかり。このことに嫌気がさして政治家になることから遠のいた。ひとの真似の出来ない馬鹿にはなれなかった。
 最近になって、学部・大学の運営を手伝うことがあって、政治家諸氏と話をする機会が生まれた。専門の立場から交通政策の議論をしてきたが、票に結びつかない話は苦手らしく、興味すら持ってもらえなかったが、重要な2点を短く。票につながらなくてもグローバルスタンダードの導入からTPPの議論はしているが、TPPに交通政策は関係ないとみている。保険、鉄道や自動車の輸出入、海外旅行、われわれの生活ほぼ全てに関係してくる。日本の管理瑕疵責任の社会システムで本当に対応できるであろうか。加えて、自転車問題、住宅地の交通安全、交通過疎地での維持管理費の軽減を目指した信号交差点からラウンドアバウトへの切り替え、そして東日本大震災地での信号機の流失による無信号交差点の安全通行問題、これらの交通問題は一見異なるように見えるが、『根』は皆同じである。交通の仕組みをグローバルスタンダードの「単純で分かり易いルールの下」に変える必要がある。すなわち、『優先・非優先』をはっきりさせる道路管理と交通管理とに法制度を含めて変える必要がある。
 もう一つは、シニア社会の交通政策である。高齢者は、『票』として重要視されてきた。未来を考えるならば、政策の重点は青少年や少子化対策に力点を移すべきであろう。ただ、高齢者対策も必要で、単に長生きさせることではなく、高齢者の知恵と経験を活用することを考えなければならない。また、若者にできるだけ迷惑をかけずに独力でのモビリティを確保させ、『ピンコロ』という至福の人生を全うさせる政策は必要と考える。それには、年金を収入とみなして課税するのではなく、年金は長い間、個人とそれに関わる組織が積み立ててきたので、年金は年金として税の対象から外すべきであろう。別途収入についてはそれ相当の税の仕組みをつくることで、健康で頑健な高齢者は、労働人口に含めて考えていくべきではなかろうか。加えて、第一次生活圏ではゴルフ場の電動カート等簡易な交通手段でショッピングや食事などができる交通環境をつくり、在宅での健診・医療・介護ができるシステムづくりが望まれる。
 これらの課題は、財源もそれほど必要とせず、政治家が政治主導で仕組みを変える格好の題材と考えられる。しかし、良い意味の馬鹿殿が生まれずに、文字通り悪い意味の馬鹿殿に民衆がしているのか、よく分からないけれどあの人だと全てまかせられるという信頼ある政治家がいないのか、いろいろ考えさせられることはある。斯く言う私は、野球バカで学生時代を送り、「交通」という専門バカで生涯を終わりそう。なかなかィ武子の愚にもなれずに、父の意志も伝わらずに。

* 春秋初期の人で、衛の国の文公、成公と二代の王に仕えた大夫(重臣)。武はおくり名、名は愈(ゆ)。孔子よりも100年あまり前の人。


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