010 階段のバリアフリー化の推進 2006年3月
東京大学 名誉教授 新谷洋二

 私は若い頃から健脚で、普通に歩いていると人に追い抜かれたことが殆どなかった。しかし、9年前のある日、日大駿河台校舎から御茶ノ水の坂道を大股で急ぎ歩いていた時、突然左脚の激痛で歩けなくなり、研究室の職員・学生に救けられ、車椅子に初めて乗せられ、近くの駿河台日大病院整形外科に担ぎ込まれた。左膝の半月盤が磨耗欠損していると診断され、以後1ヵ月の松葉杖生活が続いた。最初の夜は眠れないままに、我が家からの交通路に当たる鉄道駅のエレベーター・エスカレーターやその付近の道路の状況を思い起して、どの駅を使えば特定の目的地まで行動できるかを考えた。その結果、東京都心部を始め、わが国の交通バリアフリー化が遅れている状態を痛感した。

 外出して移動する時、一番苦労する場所は坂道と階段で、特に下りがきつかった。丁度、審議会で交通結節点の改善が議論され、エレベーター・エスカレーターの必要性も話題になった。しかし、当時は鉄道事業者でも「エスカレーターは上りは必要だが、下りは難しい」という意見だった。上り下りで毎日苦労していた私は、「脚の悪い人にとっては、上りより下りの方が辛いのです。エスカレーターの上りは活力度を補い、下りは障害度を補うもので、高齢化社会では両方必要ですが、特に下りが大切なのです。」と力説した。

 昔私が建設省にいた30才代に、横断歩道橋の計画・設計基準の研究をしたことがあった。当時、階段の設計に関して上りの辛さを考えて、踊り場は設けたが、委員たちが若かったため、下りが辛いという問題は考えてもみなかった。近年、年を取り、脚を痛め、装具を付けて歩くようになって、ようやく分かってきた。平らな所を歩くのと違って、下り階段や下り坂で片足を水平面より一段低い所に下ろそうとすると、それを支え切れず、ドスンと落ちてしまう衝撃で「アイタタ!」と口の中で痛みを堪えながら歩く気持ちは経験者でないと理解できないだろう。一方、上る時は、片足を一段持ち上げるだけの力があれば、辛いけれども「ハァハァ」言いながら何とか一歩一歩上ってこれるが、油断すると、爪先が上がらないため、つまずいてしまう。そのため、老人が横断歩道橋を嫌がることが理解できるようになったし、上り下りの介護施設として適切な位置の使い易い手摺りの効用が分かってきた。これからは信号機の付いた横断歩道や、バリアフリー化された沿道建物と一体化した歩道橋・地下道に改良したいものだ。

 交通バリアフリー法の制定以来、鉄道施設が次第にバリアフリー化されてきたことは、脚の不自由な私にとって、活動しやすくなり、喜ばしい。その一方、バリアフリー化から程遠いような既存不適格の未改良施設がまだまだ数多く存在する。こういった横断歩道矯・地下道・鉄道駅などの階段では、できないからといって放置して置くのではなく、少なくとも、その適切な位置に身体を支えやすい手摺りの設置を見直すことが大切である。錆や紙などで汚くざらざらになっているものは、しっかり綺麗に磨き維持管理して貰うだけでも、この手摺りにすがって上り下りする人たちにとって、大変役立つ筈である。

   著者プロフィール
 新谷 洋二
 (にいたに ようじ)
 新谷洋二


経歴

1953年3月 東京大学工学部土木工学科卒業
1955年3月 東京大学大学院数物系研究科土木工学専門課程修了
以後 北海道開発局、建設省都市局、勤務を経て
1978年7月 東京大学工学部教授
1991年3月 東京大学を定年退職し、日本大学理工学部教授、東京大学名誉教授
2000年4月 日本大学を定年退職し、(財)日本開発構想研究所理事長
2005年 (財)日本開発構想研究所理事長退職、現在に至る

受賞歴

日本都市計画学会石川賞、国際交通安全学会賞(著作部門)などを受賞

主な著書

「都市計画」(コロナ社)(共著)1998年11月
「都市交通計画」(技報堂出版)(編著)2003年4月
「歴史を未来につなぐまちづくり・みちづくり」(学芸出版社)(編著)2006年1月
 その他論文等多数


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