014 イエメンの架け橋 2006年9月
千葉経済大学経済学部 専任講師 田邉勝巳

 昨年の夏、中東の国イエメンに行く機会に恵まれた。日本人に馴染みが薄いイエメンという国は、アラビア半島の南西に位置する人口約2,000万の敬虔なイスラム国家である。世界遺産である首都サナアの旧市街と砂漠の摩天楼シバームなどの魅力的な観光地を多く抱えた、知る人ぞ知る穴場的な観光国でもある。しかし、外務省の危険情報によれば、イエメン全土は「十分注意してください」から、場所によっては「渡航の延期をおすすめします」となっており、必ずしも安全とは言い切れない。サナアから北のシャハラ方面、東のマーリブ方面はパーミットが無ければ、検問を通過することはできない。今回の旅は時間も無かったので、現地の代理店で4WDをチャーターし、シバームとシャハラを旅することになった。

 サナアから地方都市に向かう幹線道路は意外にもしっかり舗装されている。イエメンは、十分な石油資源に恵まれなかったため、アラビア半島諸国の中でも最も貧しい農業国である。ドライバーの話によれば、中国の援助で道路が作られたそうで、サナア市街を望む高台にその記念碑がある。南北イエメンに分かれていた時、南イエメンは社会主義国だったので、こうした援助がなされたのだろうか。

 旅の最後の目的地シャハラには1人で向かうことになった。シャハラはイエメンの中の秘境で、標高3000mの断崖絶壁を結ぶ石橋で有名である。部族間の対立が激しく、ツアーには必ず護衛がつくのだが、武装した7名の警備兵が銃器を積んだトラックで現れ、腰を抜かしそうになった。途中から未舗装の道路となり、砂だらけになりながらも、なんとかシャハラのふもとまでやって来た。本当はここでピックアップトラックに乗り換えなければならないが、部族側が代車を用意していなかった。そこで、ガイドが4WDで強行突破しようとすると、怒った部族の若い男が道にバリケードを築き、ガイドと一触即発の事態に発展。野次馬が大勢集まり、車の回りは騒然とした雰囲気になった。

 
 (シャハラの橋)

 興奮状態のガイドは「日本人は大丈夫だ」と繰り返し言うので、その理由を聞いてみると、「シャハラに水道が引かれたのは、日本のトヨタの援助があったからだ。だから、彼らは日本人に対して非常に友好的だ。だから心配するな。」

 シャハラへと向かう細い山道の脇に水道管が引かれており、これができるまで、山頂に住むシャハラの住民は水道水を使えず、山頂の溜池を利用していたようだ。翌日、くだんの石橋を徒歩で渡り、無事にサナアへ帰還した。日本も負けずに、一民間企業の援助によって、イエメンとの友好に貢献していたのだった。心強い話である。

   著者プロフィール
 田邉 勝巳
 (たなべ かつみ)
 田邉勝巳


経歴

1995年3月 慶應義塾大学商学部卒業
2003年4月 運輸政策研究所研究員
2006年3月 博士(商学)(慶應義塾大学)
2006年4月 千葉経済大学経済学部専任講師、現在に至る

受賞歴

2001年 日本交通学会賞(論文の部)
2006年 道路と交通論文賞

主な論文

「一般道路整備における財源の地域間配分の構造とその要因分析-都道府県管理の一般道路整備を中心に-」『高速道路と自動車』48号12巻、25-33頁
「交通社会資本が与える工場立地選択への影響−電機メーカー事業所データによるコンディショナル・ロジット分析−」『三田商学研究』(近刊)


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