027 「四国の道」について想うこと
2012年 9月
中部圏社会経済研究所 理事・フェロー
井原健雄

 筆者は、現在、公益財団法人「中部圏社会経済研究所」(CRISER)に勤務し、中部広域圏を対象とした産業構造や地域整備のあり方等に関わる調査研究活動を行っているが、当該地域は極めて多様性に富み、交通基盤整備についても先進的な役割を果たしてきた。その具体として、わが国で最初に誕生した「名神高速道路」の尼崎〜栗東区間の開通は1963年7月であったし、さらにその後、関ケ原〜一宮〜小牧へと延伸され、1965年7月には「名神高速道路」の全線が開通した。その当時、筆者は京都に在住していたが、新装なったそのルートをバスに試乗して快適なドライブを心行くまで堪能した記憶が、今なお眼前に彷彿と浮かんでくる。そして、本年4月には、「新東名高速道路」が開通した。NEXCO中日本によれば、これまでの高速道路に比べてカーブや勾配が緩やかで、きめ細やかに情報提供をするなど、安全で快適に走行できる道路だという。
 もとより、この「新東名高速道路」は、既存の「東名高速道路」に新たに加わるものであり、また、上記の「名神高速道路」にしても、さらに「新名神高速道路」が付加され、しかもそれらに隣接して「中央自動車道」や「東名阪自動車道」、「西名阪自動車道」とともに、東京・名古屋・大阪というわが国の三大都市圏を結ぶ大動脈となっている。 とはいえ、「みちプラザ」への投稿依頼を受けた筆者が、まず頭に思い浮かべたのは「四国の道」のことであった。なぜなら、長年、四国の地に住み、四国の地域活性化や交通基盤整備のあり方等について検討してきた所以でもあるが、加えて、四国における交通基盤の整備状況は、中部圏におけるそれとは比べものにならないほど遅れていたという実績も指摘される。その証左として、四国の高速道路の整備状況に着目すれば、「名神高速道路」(尼崎〜栗東)の整備に遅れること22年後の1985年3月に、ようやく「四国縦貫自動車道」の三島川之江〜土居区間が開通したのである。その後、四国の高速道路の整備状況に着目すれば、「四国縦貫自動車道」(すなわち、起点を徳島市、終点を大洲市とする国幹道の路線名)と「四国横断自動車道」(すなわち、起点を阿南市、終点を大洲市とする国幹道の路線名)が「X」字状に交差し、四国の4県都を結ぶことから「エックスハイウェイ」と名付けられた「四国8の字ネットワーク」の中心部分の開通は2000年3月のことであった。その部分区間の開通を記念して、四国中央市に四国4県の各知事が集い、東京大学名誉教授の月尾嘉男氏に基調講演をして頂いたが、事前の打ち合わせの席上、月尾氏は「エックスハイウェイのXは、何が起こるか分からない未知数のXですか」と冗談紛いに訊ねられた。事実、その当時の四国の現況に着目すれば、四国の厳しい地勢条件ゆえに、設計上、高速道路の構造物比率も高くなり、したがってまた、その建設コストも非常に高くつくことに加えて、整備後の利用状況についても、四国における都市集積をはじめ産業集積も総じて弱く、その結果として、発生交通量も相対的に少なく予想されることから、費用便益分析の適用による「利用者便益」(User’s Benefit)の試算結果についても、大きな不安を抱かざるを得なかった。さらに当時の住民意識についても、四国が本州と海で切り離されていたことから、四国の島内流動よりも島外流動への関心が高く、その想いが「離島性の解消」という受動的な言葉で端的に表現され、それがまた、本四架橋への期待の高まりとなったのである。とはいえ、四国島内の(人的・物的な)流動は、交通インフラの整備等の遅れとも相俟って総じて少なく、その実態は、四国自体が「離島の集合体」ではないかとの厳しい指摘を受けたほどであった。そこで、上述した「エックスハイウェイ」開通の記念シンポジウムの席上、月尾氏は、「エックスハイウェイ」のXは、四国4県の関係者たちがより積極的な相互交流を果たすべき「たすき掛けのX」であって欲しい、と要望された。
 とはいえ、四国島内の(幹線)道路網の整備が、他地域と比べて相対的に遅れ、「後発地域」となったが故に、却って四国独自の「道」への思いと多様な取り組みが広範多岐にわたって展開されることになったのではないかと考える。なぜなら、「道路の機能」に着目しても、それは決してトラフィック機能やアクセス機能といった「交通機能」に限定されることなく、「土地利用への誘導機能」や「空間形成機能」等も含めて考える必要があるからである。そこで、最後に、四国独自の「道」への対応を幾つか紹介しておくことにしよう。
 まず、〈ハード面〉に対する独自の組み取り組みとしては、いわゆる《四国のみち》の整備に加えて、《1.5車線的道路整備》等が指摘される。このうち、前者については、歩くことを基本として整備された歩行空間としての総延長2,900kmに及ぶ「みち」であり、弘法大師ゆかりの「遍路道」という歴史と文化を再現させたものでもある。また、後者については、比較的交通量の少ない四国の地域では、必ずしも2車線化に拘らず、地域の実情に合った道路の整備を地域住民の理解を得て最初に取り組んだもので、技術的には、2車線改良と1車線改良に加えて、突角・線形の是正および待避所の設置等を効果的に組み合わせて実施されたものであった。その結果として、大幅なコスト縮減と整備効果の早期発現を顕在化させることができたわけである。
 つぎに、〈ソフト面〉に対する独自の取り組みとしては、《ボランティアサポートプログラム》(VSP)の実施状況が指摘される。このVSPとは、道路を慈しみ、自ら住んでいる地域を綺麗にしたいという自然な気持ちから導出されたもので、四国地域での実施団体数は、現在、367団体となっている。ちなみに、その対全国比は22%で、四国の人口の対全国比が4%であることに配慮すると、その比率が際立って高いという事実が判明する。考えられるその背景として、四国には、「おもてなし」(あるいは「お接待」)の心が脈々と受け継がれており、老若男女を問わず、その地域を訪れる人々を温かく迎え、心を和ませようとする伝統があるからともいえよう。  そのほか、「四国の道」に親しみのある名前を付けた試みも数多くある。その具体として、「さぬき浜街道」や「龍馬脱藩の道」、あるいはまた、「南いよ風景街道」等が指摘される。このように考えると、「四国の道」は、須らくわれわれの日常生活にとって極めて密接な関わりをもっていることに気付くとともに、改めて「人の生きる道」のあり方についても学ぶことの多い貴重なものとなっているのである。



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