029 水の路、鉄の道、道路
2013年 5月
東京経済大学 教授
青木 亮

 3月に調査でフランス・ナントを訪問した。ナントはパリの南西390km、ロアール川の下流に位置する商工業都市である。かつてはブルターニュ公国の中心都市であり、高校時代の世界史の教科書に出てくる「ナントの勅令」の舞台でもある。古来は河口からここまで外航船が航行可能であったことから交通拠点として、さらには造船、金属、機械など諸工業の発展をみた。17-18世紀に三角貿易の拠点港の一つとして賑わい、当時、西インド諸島などから砂糖やカカオがもたらされた名残は、いまでも盛んな菓子産業の伝統として残されている。その後、船の大型化などもあり貿易拠点としての役割は薄れ、地域も一時衰退したが、近年は文化、芸術都市として再生を果たし、フランスで一番住みやすい都市として紹介されることもある。
 ナントに限らず、フランスのボルドーやルアン、イギリスのロンドンなど、外航船が河川を遡れた場所に発展した都市は各地に数多く存在する。これは、水路が物資や人の輸送の主役であった時代を物語る名残りであるとともに、貿易拠点としての役割が変化した後も現代に至るまで、中心地機能を生かして都市が発展し続けてきたことを意味する。
 産業革命を経て、19世紀にはいり鉄道が登場したことは、輸送の主役に変化をもたらし、鉄道を中心とする地域発展が見られるようになった。公共交通機関としての世界最初の鉄道は、1825年のイギリスのリバプール〜マンチェスター間であるが、その後鉄道は欧州やアメリカ、さらに世界各地で路線網を拡大していった。日本においても、1872年の新橋〜横浜間29kmの開業を手始めに、1896年度には官設鉄道の営業キロが1016.7kmと1000kmを越えるなど、鉄道整備が急速に進んだ。路線長の延伸と軌を一にして旅客及び貨物の輸送量も急増し、内陸部を中心に鉄道は大きな役割を担うようになった。1916年に刊行され、鉄道開通が社会経済に及ぼす影響を我が国ではじめて系統的に調査した大著『本邦鉄道の社会及経済に及ぼせる影響』では、当時の鉄道の果たした役割が広範囲な視点から述べられている。戦後も、1970年代以降のモータリゼーションの本格化まで鉄道は陸の王者として君臨し続け、鉄道開通をきっかけに発展した都市は数多い。
 現在は道路の時代と言える。我が国の貨物輸送においては、自動車が全体の約6割(2008年度、トンキロベース)を分担しており、内航海運と共に貨物輸送における主要な担い手となっている。旅客輸送においても、首都圏や京阪神圏という大都市圏でこそ鉄道が一定の割合を分担しているものの、全国的に見ると自動車の分担率は6割弱を占めるまでになっている。まさに自動車が輸送の主役と言える。大きな役割を担うようになった要因の一つが道路整備の進展である。我が国の高速道路は1963年の名神高速道路栗東〜尼崎間の開通を皮切りに、2010年度末には9841kmが供用されており、輸送の大動脈としての機能を日々、担っている。また郊外型店舗の進出により、商業の中心が駅前の旧市街地から幹線道路沿いに移動するなど、道路が地域に与える影響の大きさは全国各地で実感できる。
 時代の流れと共に水路、鉄道、道路と輸送の主役は変化し続けてきたが、発展する場所となる要因に、ヒトやモノの結節点を挙げることは、古今東西の事例からも妥当であろう。各地を訪れ、地域・都市の歴史的な発展過程にふれるとき、交通手段の果たす役割の大きさと、我々の社会や生活における重要性を再認識できよう。



ウェブサイトに戻る